yurayura シンプルデイズ

こころのことや暮らしのことを、綴っています^^

コントロール

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最近自分にくりかえし、確認をし、言い含めていることがあります。
それは・・・
相手に期待・要求をして、変えようとかコントロールしようとかはやめとこう〜・・・ということです。
これって、消耗しますよね〜。(≧σ≦)

コントロールが可能なのは、”自分が”相手にどんな風に接するのか? ”自分が”何を伝えるのか?
この部分だけ・・・。


家族との関係で、職場での関係で、友人関係・恋愛関係、すれ違いざまの淡い関係(笑)・・
よかれと思ってあれこれ言うのも、そして言わないのも私の勝手?
それなら、それをどうとらえるのも、相手の勝手?

私は私の思うまま
相手も相手の思うまま

近づきすぎない遠すぎない、ちょうどよい距離感でいられると
いいのだなと思います。
ただ・・・少し寂しく、少し切ないけれども (涙)

でも、そこをなんとか許容し続けると、だんだん楽になりますね。
そして、時に心が通う瞬間が、とても愛しく感じられる。
感謝の思いも倍増しますネ(o^-^o)

「違いを認める」
「寂しさを引き受ける」

胸がチクっと痛むけど・・・('-'*)

行きつ戻りつ・・・
最近はこのへんが、心がけのひとつです☆

調和

acces-a2-01.gif (詩)


調和


わかっているか
知らず知らずか
どちらにせよ
一瞬一瞬
とぎれることなく選んでる
感じるのは・・・
愛?
恐れ?

調和?
不調和?

意識して選ぼう
選べることを思い出そう

生まれたのは
魂を
ピカピカに磨くため

恐れるのは
災いがあるという信念があるから
ないものをあると誤解したから


すべては
贈り物
喜び、悲しみ、美しさ、醜さ
そのままに見よう
感じよう 


調和とは
自分だったと
思い出そう


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つながり

最近、何人かの人とお話をしていて、「ありのままの自分を受け入れることがはじまりだよ〜*^^*」って、口にする機会が重なりました。
でも、「うーん・・・」っていうリアクションがかえってきたりすることも。^^;
難しいと感じられての反応なのかもしれないけれど、もうひとつは、ありのままを受け入れることを、自分を甘やかすことのようにとらえるのかもしれません。
だめな自分を叱咤して努力する方を、強いこと・良いことだと思うのかもしれないですね。
もちろん、そういう時もあるけれど・・・
ただその場合は・・・”変えられるものを変える勇気”の強さかなと思います。^^
変えられないものもありますものね。


変えられないものを受け入れる心の静けさと
変えられるものを変える勇気と
その両者を見分ける賢さを、わたしにお与えください

(この祈り・・・とても好きです。^^)


この祈りの言葉のように・・・・
どの部分は、変えられなくて、穏やかに受け入れることが求められているのか?
どの部分は、変えたいと願い、そして勇気をもって変えられるのか?
素直に感じて、整理整頓を進めるにつれて、心はずいぶん安定するように思います。
ゆっくりと十分に時間をとってやっていく、大切な大切な作業。
ありのままの自分を受け入れるとは、こういうことだろうなと思います。

振り返るとわたしは・・・10代の頃、自分のことが嫌いでした。
性格・容姿・体質・気質、まわりの環境や体験した出来事・・
みじめで、みすぼらしいように感じてしまっていました。
だから当然のように、人間関係で行き詰まりました。・・。(←そのときは、”当然”とは感じていませんが、今はそう思います。)
19才でした。
絶望っていう言葉があたまに何度もよぎって、ほんとにとっても苦しくて。
でも・・・そこまでいって、もがいてもがいて、やっとやっとわかったんだなって思います。
自分を大切にしなければいけないということや・・・
劣ったところも含めて受け入れて、愛しく思ってあげなくちゃっていう、と〜っても大事なことが。
皆に受け入れてもらえないと苦しんでいたけれど、何よりもまず自分が自分を受け入れていないという最大の間違いが、ようやく見えはじめた時期なのでした。


自分をダメって責めてしまうのは、自分に対して意地悪すぎるんですよね。^^;
ダメなところだけを見ているのです。
人は誰でもいいところが、すでにい〜っぱいあるものなのに。
それに加えて、磨けば光る部分もいっぱいあるし*^^*。
責めてる時間がもったいないのです。☆
わたしも含め皆もっともっと、自分を好き でいいのだと思うんですよ。^^

自分を大好きになると、周りの人を大好きになります。
私たちは、孤独という幻想のなかにいるけれど、ほんとはみーんなつながっているのです。
ありのままの自分とつながれば、皆ともつながっていくのです。



かけがえのないもの

このうさぎ、カワイイ^^
近所の雑貨店でみつけたメッセージカードです。


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みんなが普通に楽しめるイベントが、私には負担になることがあります。
昨日ちょっとしたイベントがあり、なるべく参加したほうがいいだろうという少々義務っぽい側面もあり・・・
がんばってきました。

でも、ダメでしたねー(苦笑)。
私はあらゆる刺激を感じすぎる性質なので、新しいこと・やりなれていないこと・同時進行でいくつかの仕事を抱えることなどなどが苦手なのです^^;。
それらがいくつか、重なってしまい、途中で気分が悪くなってしまいました。(泣)

帰ってきてからも、神経の興奮が続き、体中に蕁麻疹が〜・・^^;。
体も疲れていたので、よく眠れるかとも思ったのだけれど、やはり興奮状態にあるようで、夜中に目が覚めて眠れなかったです。
でも、明け方ごろ、眠りにつけて、遅くまでふとんでゴロゴロしてたので、大分回復してきました^^。

なんでそんなことが?と、周りの人にはなかなか理解してもらえないかもしれないけれど、やる気がないわけでもないし、私なりにベストをつくしているんですよね。
でも、ささいなことで、いっぱいいっぱいになっちゃうんです。
悪気はないのだろうけれど「もうちょっとがんばれば?」とか言われるのが、辛かったりします。

もっと普通っぽければよかったと思う反面、こういう自分だから経験した今までのことが、現在のわたしの考え方や、夢や理想に、大きく影響を与えたことも事実。
そう思うと、この少々やっかいな過敏さも、愛しい私の一部でしょうか!?。
やはり私の学びに必要なことなのでしょうね。

人は生まれくる前に計画して・選択して、国や時代や親などなどを・・・選んでくるのだと思っています。
気質もそうです。
だから、すべて意味のあること。
すべてが、かけがえのないもの。

とても難しいですけれど、義務や責任とのおりあいを、もっと上手につけて暮らしたいです。^^
昔と比べると、かなりうまくやれるようになったつもりなのですが、まだまだプロセスの真っ只中のようですね。(≧□≦;) ^^;


怒り 癒し

怒りって、不快な感情ですよね。 (;>_<;)
怒りを持ち続けていると、とても苦しいし、心も体も傷つけます。

でも。。。怒りを感じることが必要な場合も多いものだとも思っています。
もちろん、それらを手放していくことが、次のステップなんだけど、
でも。。。そのためには、まずは ”取り出す”ことが必要なときがあるから。

心の奥に溜め込んで、そこにないかのように見ないふりをした感情を
まずは、心の表面に取り出して、その大きさや深さをありのままに感じてみる。。。
それがプロセスの始まり。。。

私たちって思ってる以上に、知らず知らずのうちに感情を溜め込んでいるものなんですよね。
平気  気にしない  何でもない。。。。
辛いことがあったとき、そんな風に痛みをみないふりをしてやりすごすのは、その時々の私たちが選んだせいいっぱいの生きる方法。
私たちは、そんなやり方で、一生懸命頑張っていたのですよね。 ^^

でも、それがどんどんどんどん増えていくばかりだとしたら・・・心はいつのまにか重たくなってしまいます。
感情って、流れていくのが、自然なもの。 。。
溜め込むとよどんでしまう。。。
だから押し込められた感情は・・何かきっかけをみつけては、出よう出ようとするらしいです。
自然の法則なのですね。

抜粋です^^  (「傷つくならば、それは「愛」ではない」 チャックスペザーノ博士 より)

私たちはふつう、最後まで感じきる勇気がなかった感情を、すべてためこんでしまうものです。そして、過去の感情を解き放つ機会を与えてくれる経験を、現在の人生につくりだします。
いまあなたが痛みを触発された状況についてもう少し深く見ていくと、ここで経験している痛みのほどんどは、現在の状況とは関係がないことに気づくでしょう。現在の痛みは、長い間ためこんできた感情のわずか数パーセントにすぎません。



そして。。。
怒りを手放すには。。。それぞれのケースに応じた、またはその人の個性にあった、いろんな方向性からのアプローチがあります。 ^^

許すとか理解するとか、愛する、感じる、手放す・・etc etc


最近の私が、気になってというか、気にいってというか^^
イライラしてきたとき(;>_<;)、思い出すようにしているのが。。。「間違いを見のがす」という方法です。
ん〜・・・「許す」と、よく似ているのかもしれませんね。。。^^

誰かの間違いを見逃してあげるのは、心の痛み(成長の痛み?)がともなうから、
つい失敗もしちゃうけど^^;、
でも、それができたときには、穏やか〜な気分がやってきてくれるんですよね。^^

抜粋^^  (チャックスペザーノ博士の癒し大全 より)

「あなたが思いやりを持って間違いを見逃した場合、教えることなど不要であり、訂正さえ必要とされません。なぜなら、間違いをした当人がすでに次は何が必要なのかを知っているからです。私たちの罪悪感だけが人を罰したがるのです。他の人の間違いばかりに注意を向けていると、その間違いが改めることのできないものになってしまいます。もしも他の人の間違いを罰に値するものだと思ってばかりいると、自分の間違いを単に改めればいいものではなく、罪にしてしまいます。」

「間違いを見のがすと、私たちはその人の小さな汚点を見逃すだけでなく、自らの大きな欠点を取り除く手助けとなるでしょう。」

ワクワク

前回の記事で
”最近は、怖れからワクワクへ変換する成功確率が増え始めましたヨ。”
。。。。と書いたら、その成功法を教えて♪といってもらえました・・・・ありがとうございます。^^。
(ただ確率といっても、5割くらいだし・・成功法といえるほどのものではありませんけれどもネ 笑 )

えーっとですね、7年くらい前に、バシャールっていう本を読んだんです☆
宇宙意識(だったかな?)をチャネリングしてる本なんです。
(怪しそう??笑  すすめられて読んだんだけど。。いい本でしたよ^^)

その中に”怖れとか心配のエネルギーとワクワクのエネルギーが同じなんだ”と書いてあって、
最初「??」って思ったけど・・でもどこかで、「あーすごいなぁ、そうかもしれない」って感じました。

本の内容は、うろ覚えなんだけど、「怖れ」も「ワクワク」も、エネルギーが活性化している状態っていうか・・興奮している状態っていうか・・・おんなじエネルギーだって説明されてたのかな。
その興奮を受け入れていると、ワクワクになって、しりぞけようとしていると怖れになるとか、(微妙にニュアンスが違うかもしれないけど)そんなことが書かれてました。

私がこれらのことを、思い出すようにしているのは、チャレンジするときの怖れとか、攻撃される怖れを感じたときなどです。
怖れに圧倒されていると見失いがちなんだけど、ほんとはどちらにも、自分が変化・成長する・・チャンスが含まれていますよね。

だから、まずひとつめのステップは。。それらを通して得られる変化や学びの視点をいろいろみつけ出してみることだと思っていて・・・そして、次のステップが。。。「では怖れを選ぶのか?、変化へのワクワクを選ぶのか?」という、選択になってくると思っています。

例えば”チャンレンジの怖れ”の場合だとしたら・・
新しいことをやってみようとか、何かを表現してみようとか、素直になってみようとか。。。
いろいあるけど、不安をともないがちですよね。
上手くいくかもしれないけど、いかないかもしれない・・・それがわからないから怖い。

こんなとき心に留めておきたいのは、もし失敗したとしても、それは成功するための学びであり通過点なんだという視点だと思います。
ベストをつくした上での失敗は、その経験を通して気づくことが必ずあるもの。。。。

このやり方は自分にあってなかったな〜とか、思ってたのと違ってたな〜とか、ここが未熟だったな〜とか・・・
そんな風に気づくことができるから、また改めて準備を始めたり、別の方向性を探ったり、未熟さに向き合ってみたり。。。。もろもろの方向性が見えてくるんですよね。

そしてもうひとつの大事なことは・・・
失敗したとしても (そして他のどんな場合でも)・・・
。。。自分を責めないこと、許してあげること。

反省は大事^^。。。それは向上心だから・・自分を大事にすることだから。
でも自分を責めるのは、自分をいじめることで・・。
それに、自分を許せるほどに、まわりの人も許せるようになるし・・自分に優しくなれるほど、まわりの人にも優しくなれるから・・・ほんとにほんとに大切なことなんですよね。*^^*

だから・・・・

自分を責める気持ちを手放して
たとえ失敗したとしても、それは成功に届くまでの学びだということを忘れない。

。。。そんな心持でいれるとき、怖れではなくてワクワクを選べる。。怖れをワクワクに変えることができるかなって・・・・そんな風に思っています^^。

そんな感じで。。。。。怖がりの自分とつきあう日々。^^
「強くなりたい 強くなりたい 」・・・そんなことばかり思っている私なのかもしれません^^;
怖がりだからダメ!とは思っていないんですけどね(笑)。。。。でも、ちょっとでも変われたら、自分が楽になれるし、やっぱり嬉しいんですよね*^^*。

がんばりたい♪

人って、根本的なところでは、がんばりたい生きものだと思います!。

でも、表面的にはなまけもののようです(笑)。
ゆっくりしたいな〜とか、のんびりしたいとか。。とすぐ思うようです。(笑)
でもでも。。。、「がんばらなくてもいいよ〜」「そのままでいいよ〜」「必要なもの欲しいものは全部与えるよ〜」とばかり、完璧に言われ続けていると^^・・・・
きっと、退屈で、やりきれない気持ちになることでしょう。。。

あまりないことですが、まれに全て満たされしまった人が、やがてむなしさを感じ・・・という類のストーリーはフィクション・ノンフィクションを問わず、定番のように思います。
ほとんどの人は、幸運にも(?)そこまで満たされることがないので、そんなむなしさを感じずにすんでいるわけなのでしょうね?(笑)。

人って、自分に「適度な」負荷をかけているときが、最もワクワクするのだと思っています。
少しでも多く成長して輝きたいな〜と、魂はこの世界にやってきました。
だから、私たちは、少しでも優しくなったり、賢くなったり、美しくなったり、強くなったり・・・そんな風に変化する過程にいるときが、最もワクワクするのだと思います。

ただ、魂は他の誰かと比較されるのは嫌いです。(と思います)
がんばりなさいと強制されるのも嫌いです。 (と思います)
私たちは自分のペースで、がんばりたいものなのですネ。

でも適度に負荷をかけていきたいと思っている一方で、その負荷自体を、怖いと感じることがあるかもしれません。
でもでも。。。。「怖れ」や「心配」のエネルギーと「ワクワク」のエネルギーは同じエネルギーだそうです!。
(前にバシャールという本に書いてあって、なるほどな〜とかなり感激いたしました^^)
同じエネルギーなんだけど、それをどう扱うかによって、心配になったり、反対にワクワクになったりするようです。

私はとっても怖がりなので、このことをしょっちゅう思い出しては、怖れを手放せるよう試行錯誤しています。
最近は、怖れからワクワクへ変換する成功確率が増え始めましたヨ。
ほっとします。(ほんとに^^;)←切実

思いをこめる

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↑お気に入りの^^、絵葉書のイラスト。
壁にはってながめ、なごんでいます♪



さて、ちょっと雲をつかむような話かもしれないのですが^^・・・

「思い」は。。。電波のようにまわりに伝わっているのだということを、だんだんと信じるようになりました。^^
思いの強さや、受けとる側の状態(心が開いているかどうかなど)も影響するので、伝わるまで時間がかかることもあるけれど。。。
でも、思いは波のように、そして時空を超えて伝わるのだろうなと^^。

悲しみには悲しみの、喜びには喜びの、許しには許しの・・それぞれ独自の波動があるという話(説?)もあり。。。。きっとそうなのだろうなと思っています。

で。。。ちょっとそんな考えと関連した内容で、心に残る文章を読みました。
江原さんの書かれた子育て本のなかの一箇所です^^。

目でみえる行いで「どれだけしてあげたか」ではなく、かたちにない愛情も含めて「どれだけ込めたか」がいちばん大事だと書かれていたところ。
わたしは子どもはいないんだけど、全ての人間関係にあてはまることですよね。

わたしの場合、「どれだけしてあげたか」を基準にされちゃうと、ダメダメなひとなのです。^^;
不器用だし、刺激に対してもよわよわでしょっちゅうへたばっているため、行動力にとぼしくて^^;。

でも。。。「どれだけ込めたか」がいちばん大事だというのなら〜、私でも大丈夫♪。
たくさんのことはできないけれど、思いはいっぱい込めていきたいと思います。

そりゃあ”思い”も”行動”も両方たくさんであれば言うことないですけどね〜^^。
人それぞれキャパがあるので、
あるがままということで。